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70s~80sの洋楽 おすすめCDレビュー
「名曲、迷曲、あぁ!この曲」70s80sのロック・ポップ系洋楽ヒット曲とアルバムの小コメント。このころの洋楽が青春だった。 今も衰えを知らない洋楽たち。まだ若いと思っているマイウェイ・コジの洋楽雑記帳。
ローリング・ストーンズ~「ワイルド・ホース」
カントリー・ロック・バンドのストーンズ?

1971年リリース、
口からはみだした長い舌をロゴマークとするストーンズレーベルからの第1弾アルバム 『ステッキー・フィンガー』

アルバムジャケットでも大いに話題を呼んだ作品で、これもストーンズの代表作の一つシングル曲「ブラウン・シュガー」が大ヒット。ストーンズサウンドが大ブレークしたナンバーである。

その中でも異色というほどでもないのかも知れないが、アコーステック・ギターとミックのボーカルだけのシンプルできれいな曲「ワイルド・ホース」
ストーンズのことだから後半、派手になっていくのかなと思いきや、やっぱりシンプルに続くナンバーである。もちろんドラムもはいるのだが、控えめで、アクセントという感じで、悲しげなミックのボーカルが心を打たれる。そして美しく奏でられるギター音もこの曲を盛りあげている。

この時期、キース・リチャーズは純粋なカントリーロックバンドのリーダーであるグラム・パースンズという人物と交友を深めており、このアルバムにもこういったカントリースタイルの曲を入れたんだと思う。
ワルのイメージで売り出したストーンズの真面目?な部分をうかがえる曲でもある。


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キース・リチャーズ⑨~「そのままで十分反逆児」
合言葉は「ワル」

「ストーンズはワルのかたまりだっていうセールスポイントが、バッチリうまくいったんだ。・・・~うまく嫌われ者になったもんだよ。キースなんかイメージにピッタリ~・・・」~キース・リチャーズ 彼こそローリング・ストーンズ ~より

品行方正、PTA公認、かわいいヘアーに美しい曲。このビートルズに対抗するかの様にワルのイメージでアメリカで売り出したという。
どの世界でもやっぱり、正義の味方と悪者が存在するんですね。仮面ライダーとショッカー、ウルトラマンと怪獣、ゴジラと人間(どっちがワル?)その相対するものがあってこそ人気が出るんですね。ストーンズとビートルズあくまでもイメージなんだろうけど、これがうまくいってストーンズがアメリカで成功した一つの要因ではないでしょうか。

キースの音楽的才能とファッション、酒とタバコ。ミックも衣装で工夫を凝らしていたらしいがキースの場合はそのままでも十分だった様だ。ということはやはり、ローリング・ストーンズはキースそのものなんだろ。もちろんミックのハチャメチャな行動もあったようだが・・・。
1965年、「サティスファクション」が大ヒット。ストーンズに初めての相応の稼ぎをもたらしたといわれる代表作である。
キースのギターリフが冴えにさえわたるこの曲は当初、歌詞が聞き取れないくらいボーカルをくもらせていたようである。

サティスファクション~(I Can't Get No) Satisfaction 
「満足」、「満足できない」と両方の意味にもとらえられるこの曲は歌詞のせいで放送禁止になるのを恐れていたという、が、すんなりとオンエアーになったという。そして、アメリカ、イギリス両国でチャートのトップを飾り、不動の地位を獲得した本当の意味での代表作なのだろう。


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キース・リチャーズ⑨~「キースは信念の男」
「キースとミックを対比して考えたとき、キースは信念の男、ミックは不安におののく男、って言える。ミックは『失敗したらどうしよう』って恐れを抱くことを原動力にしているんだ。・・・。」~キース・リチャーズ 彼こそローリング・ストーンズ ~より

キースとミックを比較するのはナンセンスのよな気もするが、デビュー当時の二人を見てきた人にはそう移ったのだろうと思う。いつも控えめのキースだが、いったん議論になると機転もきき、忍耐力もあるキースの方が勝ちをおさめたという。

しかし、ミックにはミックなりの音楽ポリシーがあるのだから、互いにぶつかりあう事はたびたびあったのだろうと想像できる。才能ある二人だからこそそういったボールの投げあい、摩擦があったからこそ今のストーンズがあるのだろう。きっと我々には想像もつかないやり取りがあったんだろうなと思う。ただのお友達気分ではプロとしてやっていけないもんね。

そうこうしている間に二枚目のシングル「アイ・ウォナ・ビ・ユア・マン」(レノン=マッカートニー作)がヒット。瞬く間に人気が出てきたストーンズ。1964年にファーストアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』をリリース。

「1~2度ダビングした以外は、あのレコードは俺たちのステージでの演奏そのままだった。~」(キース・リチャーズ)
全12曲中、9曲が黒人R&B、ブルース・ミュージシャンのカバーで、ミックとキースの共作「テル・ミー」もおさめられている。本当にストーンズの原点的作品で、後のサウンドスタイルが見えかくれする。

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キース・リチャーズ⑧~「俺はバンドの一員なんだよ」
「個人的に注目を浴びたり認められたりするのが、一番大事なことではないんだ。俺はキース・リチャーズとしてステージに立つわけじゃない。俺はバンドの一員なんだよ。それでこそバンドっていうもんさ」~キース・リチャーズ 彼こそローリング・ストーンズ ~より

1963年ごろ、次第に人気のでてきたローリングストーンズ。
キースは母親に「2年持てばいいほうさ」とはなしているそうだ。まぁいつの時代でもサイクルは早いもので出ては消え、消えては出てくるみたいな約、2年サイクルみたいのがあったそうである。ストーンズもそのサイクルだとキースもおもっていたのだろうが、今現在まで続いているなんて想像どころか夢にも思わななかったでしょうね。

先に大成功していたビートルズとは対照的なバンドとして売り出すというコンセプトがあったようで、やはりビートルズの存在が大きかったのは間違いないが、メンバーひとりひとりの個性が際立ったクセがあったからこそ成功したのだろう。

特にミックはバンドのフロントマンとしてのステージパフォーマンス(ビートルズは立ってただ演奏してるだけ)が人気に拍車をかけていたが、キースは控えめではあるが、曲作りやレコーディングではやはりキース主導でギターにあわせて他のメンバーがそれに色々とアイデアを盛り込むといったスタイルでストーンズをもりあげていたんですね。

しかし、この時点ではまだアメリカには受け入れられていなかったという。世の中そんなに甘くない。・・・でしょうか。
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キース・リチャーズ⑦~キースは根っからの反逆児
「ブライアンは反抗的にふるまっていただけだよ。生まれつきの反逆児は、むしろキースの方だね。」(イアン・スチュワート) 
キース・リチャーズ~彼こそローリング・ストーンズより。

いよいよローリング・ストーンズとしての活動を本格的に始めたメンバー。
ストーンズのリーダーと宣伝係りはブライアンであり、有名になりたい思い人一倍あったようですね。それを考えると多大な貢献をしたこにはなるのだが、実際には騒ぎたてるだけで物事を行動に移したのは、やはり、ミックとキースということになるらしい。

キースのファッションセンスもなかなかきまっていたということだ。
つづれ織りのヒモやベルト、そしていまではあたりまえだがリーヴァイスをはいて決めたりと思いもつかないコーディネートを考えついて、それを見事に着こなしちゃう音楽だけではなく、こういった芸術肌もやっぱり兼ね備えた反逆児・・・いや天才児なんでしょうね。

ジャズ専門のクラブで演奏していたストーンズ。もちろん見向きもされない存在だった(サックスがなかったという理由らしい)ようであるが、徐徐に観客を楽しませるための術を身につけていき、プレイの回数も増え、プロモーターたちから熱い目線を受けることとなる。

「ブライアンとキースは、バンドの中でも対照的な存在だ。キースはいつでも前向きだったけど、完全主義者というわけではない。一方ブライアンは、物知り顔をしてうるさいことをいう点にかけちゃ完全主義者だった。」(ミック)

これを読む限りにおいても、ブライアンはリーダーという名前に固着しすぎて後々のメンバーとの亀裂が深くなっていくんだろと思う。
実質、ストーンズのサウンドはキースだし、顔はミックということなのだろう。
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キース・リチャーズ⑥
「まるで変わっちゃいないよ。典型的な悪がきが、そのまま大人になったようなもんだ。学級委員をやってるような奴を嫌う男の子って、どこの学校にもいるだるだろ?彼はそんなタイプの男さ。もっともおれはそんなキースが好きだけどね」(チャーリー・ワッツ)~『キース・リチャーズ 彼こそローリンング・ストーンズ』より~

ストーンズのグループの基礎固めとしてドラマーをさがしていたがいいドラマーというのはやはりどこかのバンドに所属していて大変だったらしい。
しかし、チャーリー・ワッツに目をつけ、頼み込んだところ承諾している。
チャーリーは音楽センスだけではなく、ユーモアのセンスもあり、バンドの雰囲気をかなりよくしたらしい。特に、他人と接しているときのキースは引っ込み思案だが、チャーリーと一緒だと愉快なコメディアンチームになるという。

どこでも、やはり、気の合う奴っているものですね。実体験からもウマがあえば冗談話が考えもしないのに次から次へと出てくるもんです。
きっとキースとチャーリーそんな関係なんだろと妄想・・・いや想像される。

キース同様、チャーリーもアメリカ行きを夢みていたらしく、そこでも意気投合したんだろうね。

もっとも、ジャズが好きでロックには興味がなかったチャーリー・ワッツ。

「ロックンロール嫌いのチャーリーを丸め込むには、俺たちのやってることはロックンロールではないんだ、と説得する以外になかった。俺たちはブルースも何曲かやっていたからね。もっとも俺としては、ブルースとロックンロールにはたいして差がないと、未だに思っているけどね」(ミック・ジャガー)

ん~ん。なるほど・・・。
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キース・リチャーズ⑤~「彼こそローリング・ストーンズ」
1962年、ビル・ワイマン、正式にストーンズのメンバーに。

「キースは、他人に内気だと思われるのを嫌う。その反動で、なおさら自信過剰ぎみになってしまう。・・・~」 (ビル・ワイマン) ~彼こそローリング・ストーンズより~

ストーンズがまだ、自分たちの道を歩き始めたばかり。当面、演奏場所とベーシスト、ドラマーをみつけることが先決だったようだ。

ビル・ワイマン。ストーンズの異端児的存在(ストーンズ自体が異端児なんだけど・・・)で結婚してて、エンジニアと労働階級で、まったく違う存在だったよだ。
実際といっても写真の顔をみてもキースやミックの野生的?な顔とはうって違いどこか気品が漂うような・・・。TECI-24301.jpg
ワイマンがメンバーになれたのは、立派なアンプをもっていたという笑話があるくらいで、音楽好きのチンピラ集団というイメージがあったストーンズに入ったのはやはり、同じニオイをかぎつけたからなのだろうか。それとも脅されて・・・そんなアホな(笑)

ともかく気心が合い正式メンバーになったビル・ワイマン。
「彼らは内気って訳じゃないが、他人に対して構えてしまうんだ。~気にいった人間には非常に親しく接する~好き嫌いの根拠がよくわからないんだ。・・・」
その冷静な観察力を持ったビル。物静かで内気に見えるキース。しかし、お互いにないものを持っている。そこに音楽という接点あり、まだビンボーなローリング・ストーンズというメンバーなったのではないでしょうか。

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